許し難いこと、それは傲慢
2009年 07月 25日
人の世界で、わたしが一番許せないこと。
それは、傲慢(ごうまん)であること。
極論か、と思う話しなのでここで止めておく、
という選択もあります。。。
さて、傲慢の最たる者は、神だと思います。
ギリシャ神話などで書かれているのですが、
「神こそが絶対」であって、逆らえば神に何をされても仕方のないことだ、と。
「逆らった者こそ傲慢」である、ということらしいのです。
「絶対」という理念自体、本当にはあり得ないと思うのですが、
どうしても、そういうものを追い求めてしまうのは、
仕方のないことなのでしょうか。
神に対しての理念を論ずるとキリがないので申しませんが、
それぞれが感ずる価値観は、それぞれ違って当たり前ではないでしょうか。
そして、人間の世界で一番の傲慢と言ったら、「親」だと思います。
現実ではなかなか、はっきりと言えないけど、
親にとって子供など「生んでやって、育ててやった存在」なのです。
子供の方はそれではくやしいので、
「生んでくれと頼んだ覚えなど無い」と反論する人もいますが。
もちろん、いろいろと考え方はあります。
「親の恩は海よりも深い」と言い、それに背けば「親の心、子知らず」と言いますね。
でも、「子の心、親知らず」もありではないか、と思いますよ。
わたしは子供の頃から、
「親から自分に従うことを、きつく強いられた」
「家族同士で慈しんだり、和んだりした経験が少ない」
「自分が心底、愛おしめる子供がいない」
そういった経験から、わたしが思い込んでいることは、
・親だからと言って、子の人生に口を挟んで良いワケではない
・親だからと言って、子の価値観を否定して良いワケではない
・親だからと言って、子の領域に何でも踏み込んで良いワケではない
・親だからと言って、子の生活に絡んで良いワケではない
・親だからと言って、子のプライバシーに首を突っ込んで言いワケではない
と言うこと。
そして
「親だからと言って、どうしてそんなにも傲慢になれるのか」
と言うことでした。
でも世の中では、意識するとしないにかかわらず上下や強弱が存在する以上、
勘違いしてしまうのでしょうね。
自分は決して、決して、そうなりたくない!
と切にそう思って、こころに固く誓って戒めていますが、
「絶対」などない、と思うだけになかなか難しい事です。
それは、傲慢(ごうまん)であること。
極論か、と思う話しなのでここで止めておく、
という選択もあります。。。
さて、傲慢の最たる者は、神だと思います。
ギリシャ神話などで書かれているのですが、
「神こそが絶対」であって、逆らえば神に何をされても仕方のないことだ、と。
「逆らった者こそ傲慢」である、ということらしいのです。
「絶対」という理念自体、本当にはあり得ないと思うのですが、
どうしても、そういうものを追い求めてしまうのは、
仕方のないことなのでしょうか。
神に対しての理念を論ずるとキリがないので申しませんが、
それぞれが感ずる価値観は、それぞれ違って当たり前ではないでしょうか。
そして、人間の世界で一番の傲慢と言ったら、「親」だと思います。
現実ではなかなか、はっきりと言えないけど、
親にとって子供など「生んでやって、育ててやった存在」なのです。
子供の方はそれではくやしいので、
「生んでくれと頼んだ覚えなど無い」と反論する人もいますが。
もちろん、いろいろと考え方はあります。
「親の恩は海よりも深い」と言い、それに背けば「親の心、子知らず」と言いますね。
でも、「子の心、親知らず」もありではないか、と思いますよ。
わたしは子供の頃から、
「親から自分に従うことを、きつく強いられた」
「家族同士で慈しんだり、和んだりした経験が少ない」
「自分が心底、愛おしめる子供がいない」
そういった経験から、わたしが思い込んでいることは、
・親だからと言って、子の人生に口を挟んで良いワケではない
・親だからと言って、子の価値観を否定して良いワケではない
・親だからと言って、子の領域に何でも踏み込んで良いワケではない
・親だからと言って、子の生活に絡んで良いワケではない
・親だからと言って、子のプライバシーに首を突っ込んで言いワケではない
と言うこと。
そして
「親だからと言って、どうしてそんなにも傲慢になれるのか」
と言うことでした。
でも世の中では、意識するとしないにかかわらず上下や強弱が存在する以上、
勘違いしてしまうのでしょうね。
自分は決して、決して、そうなりたくない!
と切にそう思って、こころに固く誓って戒めていますが、
「絶対」などない、と思うだけになかなか難しい事です。
by kaiet38
| 2009-07-25 12:32
| 忘れたくない事